ふるさとの祭り

大阪三大夏祭り 愛染まつり 6月30日から7月2日/大阪市

大阪の夏祭りは、「愛染[あいぜん]まつり」に始まり「天神祭」を経て、「住吉祭」で締めくくるといわれる。この3つは、大阪三大夏祭りと呼ばれている。最初に幕を開ける「愛染まつり」は、四天王寺の支院、愛染堂勝鬘院[しょうまんいん]が舞台。地図聖徳太子の庶民救済の教えをもとに、創建当初から行われてきた厄払いの風習を受け継ぐ日本最古の夏祭りである。


煩悩を悟りに変え、菩提心にまで導く力を持つとされる愛染明王。3つの目と6本の腕を備え、憤怒の形相をしているが、内心は優しい愛を秘めた仏といわれる。良縁成就や夫婦円満、商売繁盛など多彩なご利益を授ける。

聖徳太子ゆかりの厄除け祈願

 上町筋から松屋町筋に向かう愛染坂の途中、下り口に現れる朱塗りの山門。坂の呼び名の由来となっている愛染堂勝鬘院は、上町台地の高台にどこか艶めいた風情で佇んでいる。境内へ進むと、朱塗りの金堂が目にとまる。祀られているのは、愛敬開運を授けるというご本尊愛染明王。全身真っ赤な姿で手には弓と矢を持ち、さまざまな縁を結ぶ仏様として敬われている。地元の人たちは、親しみをこめて「愛染さん」と呼ぶ。

 この場所は、593年、聖徳太子が四天王寺創建のおり設けられた四箇院[しかいん]の一つ「施薬院[せやくいん]」があったと伝わる。施薬院とは、当時の庶民救済施設で、ここにはあらゆる薬草が植えられ、病気で悩む人々を救済するためにその薬草を分け与えた。その後、当地で勝鬘経を講じたことから、勝鬘院と呼ばれるようになった。

 1400年もの歴史が息づく境内の奥には、豊臣秀吉によって再建されたという、大阪市最古の木造建造物「多宝塔」が控えている。毎年6月30日には、総本山四天王寺の官長猊下[げいか]をはじめとする高僧らが塔を囲み、世界平和や無病息災などを祈祷する「夏越[なご]しの祓[はら]え」の大法要が盛大に営まれる。また、この日から3日間、普段は秘仏である金堂の愛染明王と多宝塔に安置されている大日大勝[だいにちだいしょう]金剛尊が同時にご開帳される。これが、なにわの夏祭りの先駆けといわれる「愛染まつり」である。

祭りの初日、夕方からは多宝塔で僧侶の読経による荘厳な法要が繰り広げられる。神社祭礼の「夏越しの祓え」が仏寺で営まれるのはめずらしく、日本最初の官寺ならではの伝統行事だ。

境内中央に構える金堂。愛染明王を祀ることから愛染堂と呼ばれるようになり、いつしか勝鬘院全体の呼び名となった。

にぎわいがひと足早い夏を運ぶ

「愛染さんじゃ、宝恵[ほえ]かご べっぴんさんじゃ、宝恵かご」

 かけ声も威勢よく、担ぎ手として結成された男組、女組の若い衆によるかご行列は、天王寺駅付近から愛染堂をめざして谷町筋を練り歩く。現在、「愛染まつり」といえば、浴衣姿の愛染娘を乗せたこの「宝恵かご」が風物詩として話題を呼ぶ。これは、江戸時代に芸妓たちが盛装してかごに乗り、愛染堂に参拝したことに由来する。宝永という年号にちなみ、「宝恵」の字をあて今のような行列に再現されたのは昭和10年代。その頃は、北新地や今里の芸者たちを乗せていたというが、最近では公募によって選ばれた12人の愛染娘が見物客に愛敬をふりまいている。


写真上は、祭りの時にだけ授かる「花守り」。

 「愛染まつり」は「浴衣まつり」とも呼ばれ、この日に浴衣をおろすのが地元の習わしとなっている。その年初めての浴衣姿を、愛染さんにお披露目する意味もあるのだという。谷町筋や参道に並ぶ露店のにぎわいと涼やかな浴衣姿の女性たち。境内の霊木「愛染かつら」に絡みつくように咲くノウゼンカズラもまた、夏祭りに彩りを添える。大阪は、「愛染まつり」とともに暑い夏を迎える。

毎年たくさんの応募者の中から、愛敬のよさを基準に選ばれるという愛染娘。お揃いの浴衣姿で、祭り全体を盛り上げる。

樹齢数百年といわれる桂の古木に、ノウゼンカズラの蔓が絡みつき一体となった縁結びの霊木。

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